日本企業では根回しや派閥・学閥争いが文化の一部となっています。日本企業で育った私が海外企業で働くと、思考習慣の違いによって会議や商談で戸惑いを覚える場合がありました。その思考習慣の違いは、どこから来るのでしょうか。
関連する事象を常に意識する日本、目の前の問題に集中する欧米
海外では、日本企業と商談をしても何も決まらないとの認識があるそうです。持ち帰って検討すると回答するケースが多く、会議の場で物事が進まない点に不満を感じています。意思決定者が上司なのであれば、始めから商談の場に呼んでおいて欲しいと考えています。
私が海外の企業で働くようになってから、商談に対する考え方の違いは、そんなに単純なものではないと感じるようになりました。不慣れな英語での会話というところ以上に、思考習慣に違いがあるのではないかと思っています。
日本人は一つのトピックに対して様々な物事を同時に気にしています。一つの戦略を決めるのにも、マーケティング・営業・人事・財務・オペレーション・法令順守等、どこにも問題が発生しないよう、慎重に意思決定を行います。さらに、根回し・過去の経緯・派閥争い・学閥・人間関係といった様々なことを頭の中に思い浮かべています。
海外の人は、よりシンプルに物事を捉えているように思われます。一つの問題があれば、その理由を why? why? why?と問い続け、解決策を見出します。日本の思考習慣からすると、他との関連が気になってしまい、なぜそんなに単純に言い切れるのかと不安に思ってしまいます。それでも、方針を決定するところと、詳細を詰めていくところを分けて考えるため、仕事を速く進めていけるようになるのでしょう。
無数の料理が食卓に並ぶ和食と、一皿ずつ配膳されるフランス料理
私は食卓に並ぶ食事の並べ方と、会議における思考習慣には相関関係があるのではないかと考えるようになりました。
旅館に出てくるような豪勢な和食を想像してみてください。たくさんの料理が一つの卓上に並んでいます。暖かい物から先に食べようか、野菜から食べると体にいいかもしれない、といった全体像を考える人も多いでしょう。味の濃いものの後には漬物などで口の中をリフレッシュする場合もあります。おかずの量とご飯の量がバランスが取れる様に、食べるペースを調整する人もいます。日本人は常に物事のバランスを考えながら生きているのです。
この傾向はアジア圏で共通しているかもしれません。韓国料理でも小さな小鉢がたくさん出てきます。物事を並行して考えると言うのはアジア人に共通しているのかもしれません。
一方で、海外の料理、フランス料理の様なコース料理を考えてみましょう。料理はひと皿ずつ配膳されます。初めに前菜、その後、魚料理・肉料理、最後にデザート、と一つ一つ食べていきます。メイン料理とワインの組み合わせといったように、食べ合わせはそれなりに考慮されていますが、和食の様に食べる順序やペースを意識する必要はありません。西洋の人は物事をシンプルにし、一つの問題に深く向き合っていく傾向があるのです。
言葉に表れない思考習慣の違いが、すれ違いを生む
会議に臨む際、日本人はその会社を代表して参加しているため、関連する事象の全てに問題がないと確認できなければ意思決定ができません。会議の前の根回しや、意思決定をするまでの手続きを踏むのも、意思決定のリスクを減らしていくためです。個人同士の信頼関係が重視される日本文化では、一度決めたものを覆さないよう、慎重を期していきます。
欧米の人達はコース料理の様に、今、目の前にある問題に集中しています。自分の権限で決められる範囲で意思決定を行い、それ以上の問題が発生したら、また、別で検討すればよいという態度です。
初めて出会う日本企業と海外企業が交渉を行う際には、思考習慣の違いを知っておく必要があると思います。たとえ、技術の力でリアルタイムに翻訳ができるようになったとしても、考え方の壁は容易に超えられないからです。言葉には現れない態度の違いにより、日本人は意思決定ができないというような印象が生まれてしまうのだと感じています。
複雑さを当然とする東洋人、単純さを好む西洋人
2004年に刊行された「木を見る西洋人 森を見る東洋人」という本は、私の分析に大きく影響を与えました。当時、日本にいながら同書によって文化の違いに驚きを感じた自分が、今、海外で身を持って、思考の違いに触れているところに感慨深いものがあると思います。
西洋人は単純さを好み、東洋人は複雑さを当然とする。「あれかこれか」の二者択一的なアプローチをとる西洋人に対し、「あれもこれも」存在する世界を複雑なものとして理解する東洋人。
海外企業で議論をしていると「なぜ、こんな発言をするのだろう」と感じるケースが多々あります。文化の違いが思考習慣に影響を与えている証左なのだろうと思います。