【体験談】海外勤務で苦労したことは?英語の壁、文化の壁、そして?

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海外就職

海外企業で10年近く働く中で、日本企業とは異なる仕事の進め方に驚くこと・苦労したことは多々ありました。その違いを理解し適応していくのは、面白さはありながらも、辛い部分でもありました。

海外企業で働くということ〜多文化力・グローバル力とは?をテーマに、日本時間2019年12月20日(金)にオンライントークイベントが行われ、スピーカーとして登壇しました。その中の一つのトピックとして、海外で働く間、驚いたこと・苦労したことが取り上げられています。

海外移住から現地に適応するまで、4つの段階があると言われています。それまでの経験や移住元・移住先の関係といった複数の要因によって、その適応のステップは変わるかもしれませんが、一般的なフレームワークとして理解すると良いでしょう。(参考:https://wakuwork.jp/archives/13558)自身が海外へ移住して働くようになった経験からも、おおむね、複数の段階に従っているように感じました。

  • 段階1:ハネムーンステージ(期待や希望を持ち、新しいものとの出会いに感動する)
  • 段階2:カルチャーショック(無力な自分を目の当たりにし、アイデンティティが揺らぐ)
  • 段階3:適応開始(自分なりの居場所や存在の仕方を見つける、自己発見の時期)
  • 段階4:適応

これらのステップは、直線的に進むわけではないと言われています。前に進んだり、後ろに戻ったりしながら、徐々に文化適応が進んでいきます。

文化適応をスムーズに行うためには、オープンマインドで新しい文化に臨む必要があります。これまでの文化規範にこだわりを持つのも悪くありませんが、全てを否定するのは適応を難しくします。私の場合、例えば、食事を食べる時間だとか、横断歩道で信号を守る度合い、といった細かな文化の違いを目の当たりにしましたが、細かいところは新しい文化に合わせることを優先しました。一方で、人に対する真摯な態度といった重要な信念や、どんな世界でも良いとされる考え方は、これまでの文化を大切にするべき部分だと思います。


その他にも、現地の文化を学ぶこと、先輩方の支援を求めること、時間がかかるのを理解し焦らないこと、といった要素も重要です。特に、文化の違いはストレスをためる原因になりがちなので、ほどよく自分を許しながら、少しずつ適応する態度が必要です。海外在住の経験がある人は、おおむね似たような体験を持っているものなので、相談やカウンセリングを受けるのも良い試みです。

筆者の場合、ハネムーン期では、日本と海外の「共通点」を見つけ、それに感動を覚えていたように思います。地球の裏側と言ってもよい場所で、人々が食事をし、電車やバスに乗って、会社に行き、会議やプレゼンをして、社会活動を営んでいる。英語が少し話せるようになれば、ビジネスに参加することも可能で、そこで夢を叶えたような感覚を覚えました。

しかし、カルチャーショック期では、日本と海外の「相違点」が目につくようになりました。メールを送った後に、日本では9割くらい返事があっても、海外では3割くらいしか返事がないといったイメージです。その上、受信者がメールの内容を理解していなかったら、十分に伝達していなかった送信者の責任にされてしまうようなケースさえあります。

海外では、残業なしで8時間労働がベースであり、その中で優先順位をつけて仕事をしているため、相手の優先順位を獲得するために、こちらから積極的な働きかけが必要になります。日本のように、仕事が終わるまで会社に残り、相手を尊重して、返信してくれるわけではありません。

日本では、メールを返さないからと何度もせっつくのは、相手に失礼と思われる懸念がありますが、海外では、せっつかないで成果を挙げられなかったら自分のせいにされてしまいます。日本の感覚では、メールを返さないのは意図があって返さないのかと思ったものですが、海外では、重要性を理解されていないために返信されないといった場合もあります。日本では良いとされる振る舞いが悪くなったり、逆に、失礼な振る舞いがそうでもなかったりしたところで、戸惑いを覚えたものです。

コミュニケーション全般で言えば、議論の進め方にも苦労がありました。日本人は相手との共通点を見出して会話を進めるのが得意だと感じています。常に相手をリスペクトして、同意したり、うなづちを返したりするのが習慣です。周囲との調和を重んじる文化は、言葉の端々に現れています。

しかし、国によっては、相違点を強調して会話を進める人たちもいます。相手の意見と異なる部分から会話をはじめ、「もし●●だとしたら、反対だ」というように、自分で仮定を置いてまで、否定したがるような例も見られました。このような論法のメリットは、共通理解を深め、議論をより進展させられる点にあります。上司が言ったからとか、過去にどうやっていたかに、影響され過ぎず、その場面で最適な方法へ議論を持っていける期待が持てるからです。

このような議論の進め方は頭で分かっていても、適応するのは難しく、驚き、苦労した点でもありました。

「カルチャーショック期」を超えると「適応開始」に至るとのモデル化されていますが、自分の体験では、やはり、明確に適応が始まったというよりは、少しずつ、部分的に適応していったという印象があります。例えば、言語が上達するにつれ、仕事が円滑に進むようになり、ストレスが少なくなり、適応が進んだ面があります。また、学生時代の同級生や同僚に恵まれ、社会的な交流があったので、寂しさを感じるような機会は少なかったように思います。一方、日本語のコンテンツに触れる機会が少ないことや、日本よりも待遇が悪いことといった要素で不安を感じ、適応がなかなか進まなかった部分はあるかもしれません。


およそ10年間、海外に住んでいた自分にとっても完全に「適応」したとは言えないように思います。それでも、適応できる部分とできない部分を理解し、最低限、受け入れられる生活を続けていくのが、自分にとっての「適応」と言えるかもしれません。また、時間を経過するほどに、自分の生き方やキャリアについての考え方も変化してくるので、自分が心地よいと感じるライフスタイルは、常に模索していくことになります。


移住してから1年程度で感じたものと、10年経過してから思うものは異なっています。文化的な適応を開始したころは、「目につくもの」に焦点が当たっていたところ、10年経ってからは「目につかないもの」にも気づく経験がありました。例えば、台風や地震といった自然災害が少ない点は、10年経ってから、そのストレスの少なさから気づくようになったものです。


さらに、新しく感じるようになった文化的な違いとして「どこにもホームがない」と言うべき感覚があります。移住した国の文化も完全には馴染めていない一方、しばらく離れている日本の文化も次第に忘れていってしまいます。すると、世界のどこにも住めるという自信と同時に、世界のどこにも居場所がないという、変わった感覚を抱く場合もあるのです。「文化的なアイデンティティ・クライシス」というべき状況なのかもしれません。


結局、日本国内であっても、自分が育った地域とは異なるところで暮らすのは難しさがあるものです。海外の場合は、さらに言語や文化の相違が大きいので、これらのストレスが顕著になるのでしょう。一時的な不安感や寂しさに惑わされるのではなく、一生のうち、どのような人生を送りたいのか、今の優先順位は何なのかといった振り返りを定期的に行い、自らの文化的な拠り所を確認するようにしていきたいと思います。

海外で働く上で知っておいた方が良い事

日本では言葉にしないコミュニケーションが前提になっていると感じています。海外では「以心伝心」とはいかず、全てを言葉にしなければ、すれ違いが生じてしまうのです。

前日や2時間前に話した内容でも、覚えていないといったケースも多くあります。送ったメールも読んでいない、特に、自分に都合の悪い情報は読んでいないと主張する人も多く出会いました。そういった場合では、相手が何も覚えていない、何も読んでいないといった前提で、会話をする方が望ましいと考えられます。日本では同じ会話を繰り返しするのは、バカにしているように聞こえるかもしれませんが、同じ会話をするのを恐れず、しつこく、せっついていく態度が求められるのかもしれません。

欧米の、言葉を前提としないコミュニケーションをとる人は、当たり前と思われることでも積極的に口にします。自分の場合、「売上―コスト=利益」といった計算は、あまりに当然なので、経験を積んだ社会人相手に、それを声を上げて主張するといった考えはありませんでした。

自分が留学中にあった同級生は、それを、さも偉大な主張をしているような態度で話していたときに、自分は、それをなぜ話しているのか疑問に感じたものです。主張の簡単さと、態度の大きさがマッチせず、ひどく混乱を覚えました。逆に、相手の立場に立ってみると、何でこんなに簡単な発言に対して、混乱しているのだろうかと疑問に思ったかもしれません。文化の違いは能力の違いと区別ができません。文化の違いを理解していないばかりにコミュニケーションに問題が発生してしまったのです。

文化の違いに関しては、様々な研究がなされています。事前にそれを勉強しておくことで、実際に触れた際に、適切なコミュニケーション手段が取れる可能性が高まります。

文化の違いを事前に学んでおくのは、特に、初対面の人と働く場合や、短い時間だけ一緒に働く場合に重要になります。一方で、長い期間同じ人と働けるときは、文化の違いというよりも、その個人の違いの方が大きな影響が見られるので、文化という先入観を持つ必要性が薄まります。


そのため、商談や、短い期間の駐在といった場面では、相手の文化を十分に理解しておく必要があります。企業間の会話で、よく見られる誤りとしては、意思決定の体制が異なるというものが挙げられます。海外企業は意思決定者が会議に出席するのに対し、日本企業は、海外に参加していない上司の決裁が必要になるといった具合です。海外企業からすると、会議で仕事が進められないのは不思議に見えるかもしれません。商談を成功に導くためにも、こういった前提条件には敏感になっていくことが推奨されます。


自分の体験でも、日本企業の慎重さは注意するべきものがあると感じました。単純化して言うと、海外では3割の確率で成功すると思えば「できる」というのに対し、日本では9割方成功の目途が立たないと「できる」と言わないように思われます。そのため、日本企業からすると、海外の人たちは、約束を守らない、いい加減なことを言っているように考えるでしょう。逆に、海外企業からすると日本企業は、いつも否定的な意見ばかり述べる抵抗勢力のように見えるかもしれません。


どちらが良いというものではありませんが、文化の違いを認識した上で、双方が歩み寄りながら、より良い進め方を講じる必要があります。言語の上では「I can do it」という文言を使っていても、その前提となる考え方が異なっていれば合意に至るのは難しくなります。このような場合に、日本的な以心伝心の考え方はあまり合わず、ささいなことでも言語化していくのが望ましいとされます。ローコンテクストな文化の方が国際的な仕事に適応するのは容易になってくるのかもしれません。

前述したトークイベントでは栗崎由子さんが、ホフステードの研究を紹介されていました。「国民文化の6つの次元」は教科書的な本で、これを学んだことで『全部の色々な文化を相対的に見る』、ことができるようになったと話されていました。自分の場合も、エリン・メイヤー「異文化理解力」が参考になりました。

前述したように教科書的な文化の違いを理解するのは重要ですが、自分で体験するのも、同様に重要です。バイアスのかかった先入観を持ってしまうと、本当の姿をゆがめてしまう可能性もあります。過去の研究は参考になりますが、自分自身が直面する特有の環境では、また異なる体験をするケースもあるのです。先入観を持ってみると、その部分だけ強調して見えてしまい、それ以外の部分が、あまり意識できなくなる恐れもあります。


自分の体験でも、多くの人が言っていることと、自分が感じたものが異なるときがありました。例えば、ドイツ人は真面目だから日本人と似ている、といった文言が聞かれますが、自分の場合は相違点の方が目立って気づきました。ドイツはローコンテクストで論理を重視するのに対し、日本はハイコンテクストで義理人情を重視するといった具合です。誤解を恐れずに言うと、同じ真面目さであっても、ドイツは他者を言い負かすのにルールを用いるのに対し、日本は「お天道様が見ているから良い行いをしよう」といった真面目さの違いを感じています。


特に、ビジネスではなく、私生活や留学といった理由で海外移住する場合は、あまり難しいことを考えず、新しい環境に飛び込んでみて、どのような点で文化が異なるのか、自分はそれをどう感じるのかについて考えてみても良いでしょう。そして、自分なりの比較文化論やカルチャーショック論を気づいてみると、面白いのではないでしょうか。

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