バルセロナ、テロの現場に設けられた献花台を前にして思うこと

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事件から2日経った土曜日、ランブラス通りは多くの献花台が設けられ、被害者に哀悼の意を表するメッセージやテロを恐れないと記載されたカードで溢れています。観光客で溢れた繁華街は、数十メートルごとに警官が立っているものの、キオスクやテラス席を設けたレストランが通常通りに営業していました。

 

クルマも地下鉄も封鎖された事件当日

私は職場も家もテロの現場から徒歩10分くらいのところにあるため、事件発生時は救急車両が駆けつけるサイレンやヘリコプターの音を多く耳にしました。当初は犯人がレストランに立てこもっているという情報もあったため、20時頃までオフィスで仕事をしてから、同僚たちと共に帰宅しました。

 

中心部は車が通行止めになり、地下鉄も閉鎖されました。通行止めになっている地域には、多くの住人がいます。該当地域に住んでいる同僚は家には入れたようです。テレビは当然テロのニュースで一色であり、州知事や大臣が声明を発表していました。スペイン語やカタルーニャ語が堪能ではない私が頼りにするのはネットニュースです。日本大使館からの配信メールにも助けられました。

 

帰宅途中、クルマが全く走っていないバルセロナの街を歩くのは奇妙な感じがしました。スーパーやファーストフード店など、通常より早く閉店しているところも見受けられました。しかし、家に食事の無い観光客もいるためか、観光客向けのレストランは開いていて、食事を楽しんでいる人も多い状況でした。

 

参考:バルセロナ・テロ攻撃、これまでにわかったこと

一夜明けて第二報が知らされる

テロから一夜明けると、テレビのニュースはランブラス通りの事件ではなく、近郊の街カンブルリスの様子で一色でした。複数名の犯人が体に爆弾に見えるものを巻き付けて車を走らせ、警官に射殺されるという出来事がありました。ランブラス通りでの事件と強い関連があると報じられています。

 

これらの犯行はランブラス通りでテロが発生する一日前の水曜日から始まったと見られています。バルセロナ近郊の別の街、アルカナルで爆発事故が発生し、一人が亡くなっているのですが、これはテロリストが爆発物を準備していたのではないかと考えられているのです。爆発物が用いられていれば、ランブラス通りの被害はさらに大きなものになっていたでしょう。

 

正午、ランブラス通りに面したカタルーニャ広場に国王や首相、州知事と共に数千人の市民が集まり、黙とうを捧げました。「我々は恐れない」そのような言葉が誰からともなく上がり、自然発生的な合唱が生まれたと言います。

 

午後からは市民の活動は驚くほど正常に戻りました。バスや地下鉄も動き、多くの地域では自動車も走っています。スーパーやレストランも通常営業です。一部、人が集まるイベントは中止になったという話もありましたが、「テロには屈しない」という態度を示すためにも、いつも通りの活動を行っています。

 

二日立った週末、賑わいを取り戻す

被害の様子が徐々に明らかになり、一連の犯行で14人の方々亡くなり、3歳の子供も含まれていたと言います。100人近い負傷者は、34か国から集まった人々であり、バルセロナがいかに国際的に人を集めていたかを浮き彫りにしています。いまだ行方が分からない人もいるため、被害者数は今後も増えていくかもしれません。

 

ランブラス通りは、クルマが両脇を通行し、幅広い中心部分は歩行者が自由に歩けるようになっています。レストランのテラス席や、花屋・土産物屋、大道芸人などもたくさん出ています。残念なことに、偽ブランド品を広げて売ろうとする人や、スリの常習犯も多くいるのが現実です。

 

日本で言えば、渋谷のセンター街に車が突っ込んだようなものです。人々が避けきるのは非常に困難だったでしょう。被害が起きた場所には献花台が設けられ寄せ書きや、ぬいぐるみ等が置かれていました。犯人の車は、キオスクに衝突し、芸術家ミロの作品が地面に描かれた場所で止まったと言います。ミロの作品の上は、最も規模の大きな献花台の一つとなっています。

 

参考:バルセロナ襲撃、巨匠ミロの作品の上で暴走車は止まった

バルセロナに渦巻いていた社会不安

ヨーロッパではロンドン、ベルリン、ニースを始めテロの被害が広がっています。これらの背景には社会的な不安感があるような気がしてなりません。

 

最近バルセロナの観光客が増えすぎて地元民が不満に思っているという報道が多く見られました。地元民10人に対して、観光客は7人という割合に達したというニュースを記憶しています。実際、「観光客は出ていけ」という落書きを見たり、家賃が高騰して地元の人々が転出したりしているという話を聞きました。

 

私は旧市街と呼ばれる歴史のある地区に住んでいるのですが、去年の夏はアイスクリーム屋さんが何軒か増えたのに対し、今年の夏は観光客向けのTシャツ屋さんや割高なバーが多く出店しているのを目にしました。

 

このような実体験から、社会に対する不満が高まると、この街は壊してしまって構わないのだとテロリストに思わせてしまうのではないかという疑念を抱きました。以前はベルリンに住んでいたのですが、増える移民によって家賃が高騰する等、社会不安が広がり、破壊的な行為を招いてしまいました。

 

他のヨーロッパの都市でテロが相次いでいる中でも、これまで、スペインはそれほど被害がありませんでした。2004年にマドリードで190人がなくなったテロがあり、さらに、1960年代から長くバスク地方には過激派組織がありました。これらの経験からテロ対策が強化されていたと聞きますが、今回の犯人たちは、その対策をかいくぐって実行に至っています。

バルセロナの人々が持つ強さとは

「私たちは恐れない」という合い言葉が広がっています。私は、以前から、バルセロナ、あるいはカタルーニャ州の文化において、強い団結力を感じていました。スペインは地方によって文化が大きく異なり、私は地元のお祭りにその影響を見て取りました。スペインの他の地域ではトマトを投げ合ったり、牛を追いかけまわしたりと勇猛果敢な態度を良しとする文化があります。しかし、バルセロナでは、組体操の要領で人々がタワーを作り「人間の塔」を作ったり、手をつないで輪になって踊る「サルダーナ」というダンスがあったりと、団結・連帯を好む文化を感じています。今回の悲劇があっても、バルセロナの人々は一致団結し、強い態度を取り続けるでしょう。

 

実際、事件から一夜で市民活動が正常に戻ったのは素晴らしいことだと思います。私は、スペインの人々は状況によって態度を変えずに、自分の意思を通す傾向が強いと感じていました。例えば、スペイン人の同僚は、忙しかろうか忙しくなかろうが自分のペースで仕事をやり通してくれます。テロがあったから大人しくしていようという考えは毛頭持ち合わせていないのでしょう。

 

最近は空港職員のストライキがあり、手続きが3時間以上かかるケースが多かったと聞きますが、今回の事件でストライキが中止になり、セキュリティが強化されたそうです。

 

テロの発生により、これから暫く観光客は減り、地元の産業は打撃を受けるでしょう。しかし、その間に、地方自治体が中心になって、観光客が増えすぎて摩擦が起き始めた点を是正するよう動きが進むかもしれません。悲劇を糧に、より強く美しい都市へと進化することを願います。

 

最後に

現場に行き、多くの献花台を目にすると、私も感傷的になりました。しかし、皆さんに状況を知らせるために写真を撮っていると、悲劇を新たな観光地にしてしまっているようで、罪悪感を覚えました。献花台を前に自撮りをしている人を見ると眉をひそめざるを得ません。現代の習慣であって特別意味はないのですが、過度な観光地がバルセロナの人々の不満を高めたのだとすると、望ましい行動ではなかったかもしれません。

 

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