日本人は創造性に自信がないという調査がある一方、先進技術やアニメ文化など、世界からは高い創造性が評価されています。学校や会社で無意識にすりこまれた学び方が、その自己評価につながっているのではないでしょうか。
自分が創造的だと評価する日本の若者は、わずか8%
いわゆるブラックジョークとして、「アメリカ人が製品化し、日本人が模倣する」といった類の話があります。実際、クリエイティブ関連ソフトウェアを開発するアドビ・システムズが行った10代の若者に対する調査では、自分のことを「創造的」だと思う日本人はわずか8%でした。米国(47%)、英国(37%)に比べると大きな差が出ました。日本の若い世代は自分が想像的だとは思っていないのです。この印象は果たして本当なのでしょうか
アドビ行った別の調査では、全く異なる結果が出ています。今回なされたのは自己評価ではなく、どこの国・都市がクリエイティブであるかという質問です。その結果、日本、並びに東京が最もクリエイティブだとして第1位になりました。実際、日本はノーベル賞を毎年のように受賞するなど、創造性が高いのは間違いありません。他にも、アニメや漫画、高性能な電化製品・電子機器等、世界を牽引しているアイデアは少なくないのです。(参考:日本人は「創造性」「挑戦心」が弱いという国際調査は本当か)
それでは、なぜ多くの日本人は自分の評価が低いのでしょうか。創造性が低いという自己評価はどこから来るのでしょうか。海外の学校・会社に行ってみると、私は日本における物事の学び方に原因があると考えるようになりました。
日本独自の学び方「守破離」では、若いうちに創造性を発揮する機会が少ない
武道の世界では「守破離」と言う言葉があります。ある技能を習得する際には、まず、「守」として既存の理論を学び、教えを守ります。次に、「破」の段階でそれを応用し、「離」のステップで独自の流派を編み出すという理論です。守破離の考え方は、日本ではあらゆる場面で適用されていると感じています。学校で教科書に従って学ぶのはもちろん、会社でも既存の業務プロセス学び、経験を積んでから応用へと進みます。
私は、海外の学校に通ったり、会社で働いたりしてみて、この守破離という考えは、日本あるいはアジア圏に特有の考え方だと感じています。欧米、特にアメリカでは、まず、自分の意見を述べる態度が求められます。自分の国の政治を良くするにはどうするか、会社の売り上げを上げるにはどうするか等、何よりも自分の意見を述べるのが重要です。たとえ、的外れでも、ちっぽけでも、黙っているよりは発言するのが良しとされます。
何年か働いたり、大学院に通ったりして、基礎的な理論を学んだ後、その自分の意見が良かったのか、悪かったのかを判断するようになっていきます。優秀な人は、最初に意見を述べるようになった時点から、どんどん自分の道を進んでいくので、早い段階から創造性を発揮できるようになるのでしょう。「守破離」のステップには当てはまりません。
創造性の観点では、日本の場合、初めの段階は技術を習得している期間なので、若い人は創造性を発揮する機会がありません。前述のアドビの調査で、創造性に対する自己評価が低かったのは、守破離の学習スタイルに寄与しているのではないかと考えます。
インフラの整備された先進国、AIが導入された未来では創造性が求められる
日本と海外で学び方が異なりますが、どちらが良いというものでもありません。その国の状況や文化によって、向き・不向きがあるので、お互いの良い点を吸収しつつ、改善していくサイクルが望ましいでしょう。日本では既存の理論習得を重視するため、全員のスキルレベルが平準化され、安定した社会運営ができるという側面は無視できません。
ただし、先進国においては、既存の理論を学ぶよりも、創造性が重視されるようになってきたのも確かです。インフラやプロセスが確立された社会では、整備された現状を打破し、リスクをとって、より良い社会を目指す必要があります。さらに、単純作業をロボットや人工知能が肩代わりする未来では、定められたプロセスに従う仕事は少なくなり、新たなアイデアを創造するのが人間に残された仕事になっていくと考えられます。
世界経済フォーラムが2016年に発表したレポートでは、2020年に必要とされるであろうスキルとして、1位「複雑な問題解決力」、2位「クリティカルシンキング」、3位「創造力」が挙げられました。新しい時代に合わせた教育方針が求められています。私の場合、日本では無意識に従っていた守破離の手法も、海外に出てみて始めて意識できるようになりました。若い世代こそ、海外の考え方・教育手法に触れ、視野を広げていくのも一つの考え方ではないでしょうか。