私が海外留学・海外就職へと歩みを進めた理由 – 海外就職シリーズ(1)

海外就職

海外就職に憧れを持つ人は少なくありません。私もその一人でした。しかし、帰国子女でもない私は、何から行動を起こせばよいか分からず、海外での移住・就職を進めるまで長い時間がかかりました。個人的な事情ではありますが、本記事では、自分が海外を目指すまでの経緯を記し、同じような興味を持った人の参考にしていただきたいと思います。

国際的なサッカー選手のように世界の舞台で働きたい

1994年7月17日、私はテレビに釘付けになっていました。その日、日本時間の早朝、サッカー・ワールドカップの決勝が行われました。私の憧れの選手が最後のシュートを失敗し、ブラジル代表が優勝を果たしました。当時中学一年生だった私には、かすかながら将来の希望が湧いてきました。「この代表選手たちのように、世界の舞台で戦いたい」

しかし、学生時代の私にとって、海外に行くことは現実的ではありませんでした。同級生に帰国子女が何人かいただけで、自分の周囲には海外と関わりを持った人すら見当たりませんでした。良い高校にいって、よい大学に入るために、目の前の学業・部活に専念する日々が続いていました。

大学に入ってから一つ目の転機が訪れました。大学に入り、アルバイトで貯金をして、スペインに旅行することになりました。第二外国語でスペイン語を学んでいたこと、バルセロナのサッカークラブが好きだったこともあり、とても良い旅になりました。特にバルセロナの気候・文化などに感銘を受け、「いつかこの街に住んでみたい」と思うようになりました。

それでも、海外に住むということは簡単ではありませんでした。社会人になってからも、英語の勉強を続けたり、外資系企業の中で海外で働く道を模索したりしましたが、なかなか道は開かれませんでした。二つ目の転機は、東日本大震災にありました。自分の命に限りがあることを再認識し、本当に自分が目指す生き方をしたいと思い立ちました。それまでは会社の力などを使って、穏便に海外へのキャリアを開いていきたいと考えていましたが、多少強引にでも自分のキャリアを作っていく決心がつきました。当時は、昔に見た映画「フラガール」のあるセリフを自分に言い聞かせていました。「オラの人生、オラのもんだ!」

雇われる側ではなく、雇う側として仕事を探す戦略

私が海外へ行く最も大きな理由は「バルセロナに住むこと」でした。そこで私は「スペインに数年住んで、永住権を獲得すること」を目標にしました。そうすれば自分のお気に入りの場所にいつでも帰ることができるからです。スペインでは5年間現地で労働し、納税の義務を果たせば、永住権を申請する権利が得られます。そのため、いかに良い条件で働けるかが課題になりました。

ビザ・労働許可を調べる中で、いくつかのことが分かりました。まず、ウェイターなどの単純労働には外国人が就くことは難しいことです。外国人は現地の人間では務まらない役割、その人にしかできない高度な技能が要求される役割ではないと、労働許可が下りずらいことが分かりました。

私は現地の大学院に通い、専門性を高め、管理職以上の立場で就職することを狙いました。前職での情報技術の経験と、大学院で学ぶビジネスの知識があれば、高い地位につくことも可能だと考えたからです。実際に、現地の大学院で学ぶことで海外で就職する可能性は大きく広がりました。本記事で振り返りたいのは、私は特別な存在ではないということです。

私は留学するまで海外に住んだ経験もなかったため、英語が流暢なわけではありませんでした。また、大手IT企業に勤めていたものの、100万人に1人の逸材というわけではなく、一般的な知識・経験を有しているだけでした。野球のイチロー選手やサッカーの本田選手のような、特別な才能は当然ありません。それでも現代では、一個人が海外で活躍することが可能な時代になったのです。さらに、日本も世界も、そうした世界を舞台に活動できる人材を求めているのです。

 

シリーズ次回の記事は「なぜ現代は海外で働くのが一般的になったのか – 海外就職シリーズ(2)

タイトルとURLをコピーしました